千姫様にお願い候4ですがようやく2月上旬に
発売予定です。
今回は大阪夏の陣、豊臣と徳川の最終決戦です。
本作ですが大阪は新書体の大阪です。
豊臣秀頼 文禄2年(1593年)~慶長20年(1615年)?
ついに豊臣と徳川の最終決戦を迎えます。
本作の秀頼は自暴自棄な茶々と違い、茶々に頭が上がらないなりにも
豊臣を残すあらゆる策を打ちます。
しかし世の中うまくいきませんが。
それでも豊臣を残すための策は最後の最後まで
うごめきます。
そのため本作では没年は?になっております。
若い頃から豊臣秀吉に仕え転戦しました。
関ヶ原の戦いで西軍に付いたので戦後改易されますが
迎えられます。
が、秀頼の要請に応える形で山内家を飛び出し
大阪城に入りました。
山内家の家臣だったので大阪五人衆の中では
別格だったようです。
大阪冬の陣ではあまり活躍の機会はなかったのですが
夏の陣では獅子奮迅の大活躍をします。
本多忠勝の次男の忠朝を戦死させ、
小笠原秀政親子に瀕死の重傷を負わせ
徳川の各部隊を蹴散らし大混乱に陥れました。
勝永の活躍があって真田源二郎信繁は
家康に肉迫できました。
大阪側の部隊が次々と壊滅する中も隊を維持し
自害したと言われています。
なお勝永の一族ですが土佐に残った一族は
一部処刑されずに残ったようでやはり徳川にとっても
敵ながら天晴と思われたのかもしれません。
本作では勝永のラストは少し変えております。
真田源二郎信繁。永禄10年(1567年)~慶長20年(1615年)
有名なので経歴は他のサイトにお任せ。
真田丸を城割で壊されてからも最終決戦で真田の名を
世に知らしめます。
本作では肉迫します。
そして家康と共に若干史実とは違うエンドを迎えます。
後藤又兵衛。永禄3年(1560年)~慶長20年(1615年)
元黒田家の家臣で武勇で有名でしたが黒田長政とは
不仲で長政の妨害にあって声はかけられても仕官できない
不遇が続きました。
彼も秀頼に応える形で秀頼に仕官しています。
本作では大阪冬の陣では鴫野・今福の戦いで
秀頼の小姓で竹馬の友である
夏の陣でも道明寺の戦いで10倍以上の大軍相手に
大奮闘しますがついに力尽きます。
本作では彼の遺言は首を隠すのと胴を大阪城に
持ち帰るように言い残します。
それが何を意味するかはお楽しみに。
明石全登。本作では生没年不詳。
宇喜多家の家臣でしたが関ヶ原で宇喜多家が
改易されると浪人します。
熱心なキリシタンで一時期は黒田家にお世話に
なったこともあったようですが詳細は不明。
本作では彼は大阪の陣の裏で活躍します。
彼の名が世に再び出るのは大阪の陣の約20年後です。
長宗我部盛親。天正3年(1575年)~慶長20年(1615年)
本作では少し地味です。
大阪の陣の後、落ち延びて捕らわれ処刑されます。
しかし彼の長宗我部家再興と豊臣への忠節は
守られました。
平成27年(2015年)には盛親の血を引く人が名乗りを上げ
実際に片側しか残ってなかった盛親の鎧のあぶみ(武具)を
持って現れたのは有名でしょうか。
長宗我部家は生き残っていました。
千姫。慶長2年(1597年)~寛文6年(1666年)
大阪夏の陣で決死の脱出を行い、秀頼の長女の奈阿姫を体を
張って助命します。
秀頼の長男の国松も助命嘆願しますが
これは認められずは公式には国松はその後処刑されます。
でも徳川方は誰も国松の顔を知らなかった、
千姫たちも口を割らなかったようです。
大阪の陣が終わった後も千姫たちには
姫路城時代、そして江戸帰還後にも
波乱が待っております。
おちょぼ。畠山千代保。慶長3年(1598年)~元禄元年(1688年)
おちょぼはその後も千姫に仕え続け、波乱に巻き込まれますが
力を得ると小姓のおちょぼも晩年は権力に近くなったようです。
千姫を見送った後、91歳まで生き永らえました。
さていよいよ大阪の陣も終わりますが後半が
かなり遅れており千姫様にお願い候5が出せるのは
春先になりそうです……
本業(サラリ-マン)優先なのでやはり時間がないですね。