佐野昌綱の野望、登場人物、最終編のご紹介です。
徳川千(豊臣千)
慶長2年(1597年)~寛文6年(1666年)
千姫で有名です。
実父は徳川家康の三男で家康の後継者で江戸幕府2代将軍の徳川秀忠です。
実母は織田信長の妹、お市の方の三女の江です。
血筋で分かる通り本物のお姫様です。
徳川秀忠、江夫婦の初めての子で徳川家光は弟です。
妹の珠姫も前田利常の正室で有名です。
美しい温厚な姫と伝わり、家康や両親に溺愛されたそうです。
徳川家から豊臣家に人質として豊臣秀頼に嫁ぎます。
叔母に当たる秀頼の母親の茶々、淀殿との関係は不明な点が
多いのですが秀頼とは子は産まれなかったものの
仲は良かったようですのでそれほど多分問題が無かったのでしょう。
大阪の陣では豊臣家と一緒に滅ぶ運命でしたが
家康が千姫を助けた者には千姫を嫁がせるとの発言もあって
千姫は脱出に成功します。
家康の千姫の溺愛振りが分かりますが……
千姫ですが温厚な姫と伝わっていますが大乱戦の大阪城から脱出したり
秀頼の娘の天秀尼を体を張って助命したりしています。
大阪城脱出後の再婚の件では佐野家の改易にも
からむ坂崎直盛が千姫事件が起こしたりもしますが。
千姫はその後は本多忠刻と再婚し、姫路城に暮らすようになります。
一男一女に恵まれますが幸せは長続きせず、その後、
長男が病死すると実母の江や義理の母親、更には夫の忠刻まで亡くなり
本多家は改易の危機に瀕しますが千姫は父親の秀忠に陳情し、
忠刻の弟が後継者になることでなんとか本多家はこの危機を乗り切りました。
千姫はその後江戸に長女と戻り長女は池田家に嫁ぎます。
その後は静かに暮らすつもりだったようですが
将軍の実の姉だけあってやはり奥でも平穏とは行かず
その後、色々と巻き込まれます。
家光との仲は良かったようで家光の三男の綱重を
養育したり新たに姫路城主になった娘夫婦の面倒を見たりと
活躍しています。
私の別作品で千姫主役の
「千姫様にお願い候」ですが
あまりアクセス数が伸びなかったので大阪の陣で
いったん終了させましたが実は後半のストーリーを
用意していますので機会がったらいずれ公開しようか
考えております。
南光坊天海
天文5年(1536年)~ 寛永20年(1643年)
若い頃は隋風と名乗って色々なお寺で修業したそうですが
若い頃の行動は実は良く分かっていません。
家康の元に来たのは家康の関東入り、1590年頃で
川越市の喜多院に入った頃に天海と名乗ったそうです。
江戸を風水などで設計したと言われています。
家康のブレ-ンとして方広寺事件など活躍後、
秀忠、家光にも仕え108歳!で没したと言われています。
天海、明智光秀説が有名ですが人生前半の足取りが不明、
日光の明智平の説、徳川家光の乳母、
春日局が光秀の重臣、斉藤利三の娘など
(謀反人の娘が将軍の乳母の謎)
確かになかなか謎が多い方です。
関ヶ原や大阪の陣では甲冑を着て出陣したとも言われ
やはり普通のお坊さんではなさそうです。
イラストなしですが
大久保長安
天文14年(1545年)~ 慶長18年(1613年)
元武田家の家臣です。
家康の重臣、大久保忠隣の与力になった後、
奉行として優秀な能力を発揮します。
山師(金山、銀山)の開発能力は大変優れていたそうです。
関ヶ原の戦の後は徳川領の金山銀山の管理を任され
老中職に抜擢、家康の六男の松平忠輝の家老にも抜擢されます。
天下の総代官と呼ばれ強大な権力を手にし、
桐生市も長安が開発したと言われています。
女好きと派手な生活でも有名でしたが死後、
横領容疑で長安の一族は滅ぼされます(大久保長安事件)。
諸説ありますが本多正信のと大久保忠隣の
権力闘争の果ての事件と言われています。
佐野家の改易も実はこの大久保長安事件が発端と
言われています。
大久保家も忠隣が改易され力を失いますが家康没後、
本多忠純が失脚すると大久保一族は復権に成功しています。
佐野信吉も実は史実では同じ頃合いに許され
復権していますのでやはり幕府の
権力政争だったのではないかと思います。
信吉は許されたのち、すぐに亡くなりますが
息子の小吉、佐野久綱は幕府の旗本に
その後取り立てられています。